生誕〜お抱え力士へ
- 明和4年 (1767)
1月 -
小諸領大石村(東御市)に父半右衛門、母けんの長男として出生。 幼名は太郎吉。 東御市ってどんなところ?
幼少の頃からの怪力伝説 その1
ある夏、母が庭で風呂に入っていたところ、急に雷鳴をともなう激しい夕立がやってきた。太郎吉は、母を風呂桶ごととかかえて、家内の土間に運び込んだという。子どもの頃から怪力だった逸話が伝えられている。
幼少の頃からの怪力伝説 その2
15歳の時、険しい碓氷峠で荷馬を引いて山道に差しかかったところ、加賀百万石・前田侯の大名行列と行合わせてしまった。狭い道のため、よけることもできず、困った太郎吉は、荷を積んだままの馬を頭上に持ち上げ、無事大名行列を通過させた。そして殿様から「あっばれじゃ」と、お褒めの言葉を賜ったという。
- 天明1年(1781)
14歳 -
この頃、怪力太郎吉のうわさを聞いた相撲好きな隣村(現上田市長瀬)の庄屋上原源五右衛門が引き取って道場「石尊之辻」で学問と相撲を教えたと伝えられている。
石尊之辻
千曲川の対岸、長瀬村(現上田市丸子)には、庄屋の上原源五右衛門が設けた相撲道場があり、石尊社があったことから石尊之辻と呼ばれた。
太郎吉の怪童ぶりは近在にも轟いていたことから、源五右衛門は太郎吉の父半右衛門を説き伏せて太郎吉を石尊之辻に引き取って、相撲ばかりでなく近くの長昌寺 で四書・五経まで学ばせた。
この少年期の太郎吉の鍛錬と学問が後の無双力士雷電の基礎を培ったことは確かである。
- 天明3年(1783)
16歳 -
巡業中の江戸相撲、浦風林右衛門の一行と上原家で知り合い、一緒に稽古に励み、本格的な相撲を学んだと伝わる。
太郎吉と浦風一門との運命的な出会い
天明3年、全国的な大飢饉や浅間山大噴火で、食うや食わずの困窮を極めた北陸巡業中の浦風一門一行の力士たちが、上原源五右衛門の元で長らく逗留することになった。そしてここでの出会いが、太郎吉の運命を決めることとなったといわれる。
- 天明8年(1788)
21歳 将来を見込まね雲州松江藩主、松平治郷(不昧公ふまいこう)のお抱え力土となる。 松平治郷(不昧公)ってどんな人?
- 寛政元年 (1789)
22歳 雲州力士の四股名を冠し 「雷電為右衛門らいでんためえもん」となる。 「雷電」を四股名とした力士たち