雷電ゆかりの地
- 雷電の生家
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東御市滋野乙 復元された雷電生家
出世した雷電が大石村の生家を再建する際、少年時代に世話になった長瀬村の庄屋 上原家の屋敷よりも大きくしないように建て直したという。人情深く謙虚な雷電の人柄がうかがえる。屋内には稽古土俵があり二階座席から相撲が見えるようになっている。
1984(昭和59)年に雷電の建てた家が老朽化した為、関係者の協力で生家を復元し、現在は東御市の文化財として公開されている。(見学可能) 雷電為右衛門の生家から
- 各地にのこる雷電を讃えた石碑
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東御市牧家 雷電顕彰碑
旧北国街道沿いに、佐久間象山撰文ならびに書による「力士雷電之碑」が建っている。十字路の角にある2つの碑。1つは南面(新碑)、1つは西面(旧碑)。旧碑は、その碑片を身につけていると、立身出世するとか、勝負事に勝つとかの迷信が生まれ、削って持ち去る者が多く碑文が読めなくなり、象山と親交があった勝海舟らがはたらきかけ、新碑が建てられた。
この碑には禁じ手となった3技に加えて「さばおり」も禁止された程との雷電の強さが伝えられているが事実か定かではない。佐倉市妙覚寺 雷電顕彰碑
昭和53年2月11日、雷電の153年目の命日に因んで「佐倉・雷電顕彰会」が建立した。
東京深川 富岡八幡宮の力士碑
富岡八幡宮境内には、横綱力士碑、大関力士碑、巨人力士碑などが並び、ひときわ大きな横綱力士碑の裏面に歴代横綱と並んで「無類力士雷電為右衛門」の名が刻まれている。
これは雷電の無類の強さを誰もが認めたものであり、横綱碑と大関碑の双方にその名を刻した正に無双の証である。
横綱力士碑は明治33年の完成。その後も歴代の横綱の名が刻まれ続けている。
- 少年期の雷電もここで相撲をとった
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長野県小諸市八幡町八幡宮 「八朔相撲」
毎年9月に開催される「八朔相撲」は、元禄年間に奉納相撲として始まり、今も尚続いている小諸市指定無形民俗文化財。土俵は「蛇の目の辻」という珍しい形で、少年期の雷電「関太郎吉」もここで相撲を取った。
当日は子ども達が立派な化粧まわしをつけて町内を練り歩き、古式を伝える土俵入りの後、熱気ある取組が繰り広げられる。