海野宿



北国街道「海野宿」 重要伝統的建造物群保存地区
海野宿の見所
海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成しています。
道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里をを想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれます。
また、海野宿の産土神である白鳥境内の社そうは神社の歴史を物語り、中央にあるけやきの木は樹齢七百年を超えています。毎年4月の例祭には街道に12本の大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が今も受け継がれています。
春は格子ごしにひな人形が並ぶ「ひな祭り」。夏は暑気払いの「にぎわい祭り」。
そして秋(11月第1日曜日)には時代仮装行列や、人力車も繰りだす「ふれあい祭」が開催され、往時の宿場の賑わいが甦ります。
海野宿の歴史
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。
寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。
明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。
海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。
伝統的な建造物の意匠
「本うだつ」は江戸時代のもの、「袖うだつ」は明治時代のものです。どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れています。
「海野格子」と呼ばれている格子は江戸時代のもので、2階の出格子に見られます。長短2本づつ交互に組み込まれ、海野宿特有の美しい模様を織りなしています。
「出桁」は江戸時代の旅籠屋造りのもの、「気抜き」は明治時代の蚕室造りの象徴です。
駐車場のご案内
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※海野宿入口交差点から第1駐車場までの海野宿橋は現在ご利用いただけません。
大屋交差点より、大屋駅前をお通りください。
名称 | 海野宿 |
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住所 | 〒389-0518 長野県東御市本海野1052周辺 |