放牧牛とレンゲツツジ群落の関係~湯の丸高原~
毎年6月中旬~下旬にかけて湯の丸高原のつつじ平は、レンゲツツジの朱色の花に覆われます。湯ノ丸山の丸みを帯びた姿を背景に、レンゲツツジの群落が眼前に広がる様子は、湯の丸高原の真っ青な空と相まって、非常に美しい風景となっています。
「レンゲツツジの群落」は国の天然記念物(昭和31年5月15日指定)であり、湯ノ丸山の山腹から174haに広がるレンゲツツジは、約60万株にもなります。
一体なぜ、山の中にこのようなレンゲツツジの群落が存在しているのでしょう?
そのなぞは、湯の丸高原の歴史に隠されています。
時は明治37年。
長野県小県郡祢津村(現在の東御市)の牧野組合が、湯の丸高原に牧場を開設しました。開設当時は、牛・馬・綿羊など約300から400頭の放牧があったそう。結構な規模の牧場ですよね。
沢山の家畜が放牧される中、レンゲツツジは葉に有毒成分であるロードジャポニンを含むため、牛たちが食べなかったのです。つまり、レンゲツツジを除いた他の植物を牛たちがムシャムシャムシャムシャ……と食べ続けた結果、が、「レンゲツツジの群落」なんです。
そんな湯の丸牧場ですが、昭和50年代に入るとしだいに放牧数が減り、平成7年には約40頭までと少なくなり、牧場の廃止が決定。しかし、平成8年に入り「湯の丸牧場運営協議会」が設立され、東部町やJA信州上田、東部町(現在は東御市)牧野組合、嬬恋村が相互に協力し合い、放牧が継続されることとなりました。
今でも毎年6月に麓から牛たちが運ばれ、高原に放たれます。レンゲツツジの横をのんびり歩く牛の姿は、湯の丸高原ならではの風景です。
とはいえ、現在は放牧数が少なくなってしまっているのも事実。家畜がいなくなれば徐々に森林化してしまいます。日が当たらない森の中では、レンゲツツジは元気に育つことができません。そこで現在は、家畜ばかりでなく人間の手(保存会や地元の生徒、林間学校の生徒)でレンゲツツジ以外の木々を定期的に刈り取る作業を行なうようにして、保全保護を行っています。
これからもこの美しい風景を残すことができるよう、牛たちとも手(蹄?)を取り合って守っていきたいと思います。