田中まちなか・海野宿エリア

田中まちなか・海野宿エリア

上田市と隣接する市中西部に位置し、商店や市の施設が集まる中心市街地のある地区です。東西に国道18号としなの鉄道が走り、中心部に田中駅があります。 また、並行して流れる千曲川沿いには国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている「北国街道・海野宿」が現在でも佇まいを残し、 地元の方をはじめ多くの観光客の方々に人気です。 海野宿の街並みは、江戸時代の旅籠づくりの建物と明治時代以降の養蚕が盛んな頃にたてられた、養蚕造りの建物が調和した伝統的な 家並みが魅力です。伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」の一つに選ばれ、 昭和62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されるなど、街道一帯が重要な文化財となっています。

海野宿の見所

海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成しています。 道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里をを想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれます。 また、海野宿の産土神である白鳥境内の社そうは神社の歴史を物語り、中央にあるけやきの木は樹齢七百年を超えています。 毎年4月の例祭には街道に12本の大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が今も受け継がれています。 11月23日(祝)には海野宿ふれあい祭が開催され、時代仮装行列や、人力車も繰りだし往時の宿場の賑わいが甦ります。

海野宿の歴史

海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。 北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。

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